ある夏、とても贅沢な夜のひとときに、うるつや肌に思いを馳せる

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 評判通り、食事も大変美味しかった。心もお腹も十分すぎるくらいに満たされて、良い気分で外に出た。あぁ、星がきれいだね、とパートナーが言った。そうだね、こんなに輝いて見えるんだね、と私は答えた。履きなれない下駄は歩みをのんびりとさせるけれど、このひとときをいつまでも楽しみたい私たちにとっては素晴らしいアイテムだった。

 

 昨年の夏、「隠れ家的な、古民家風の、オーナーのこだわりがすごい、ぜんぜん予約がとれない宿、」に宿泊した。早い時期に予約をしてくれたパートナーがそう説明した時はどうにも胡散臭さを感じたが、到着してみるとその人気ぶりに合点がいった。

 宿は一棟貸しであった。宿泊客は古民家を一軒借りることができる。数棟しか用意されていないため一日の客数が少なく、庭のつくりやスケジュールの工夫によって他人の存在すら忘れさせてくれた。建物は木造の平屋で小さな露天風呂つきだ。ひと家族にはもったいないくらいの広々とした部屋に、景色が見渡せる大きな窓。デッキとデッキチェアが違和感無く置かれていて、その先の景色までもがプライベートな空間として用意されていた。何時でも人や建物が視界に入ることの無いロケーションなのである。

 食事は別の棟で頂くとのことだった。宿泊棟から外に出て、小道を歩き、別の棟にお邪魔する。いろりを囲む部屋に入ると、既に炭が焚かれていた。夏の夜空が見える窓辺でぱちぱちとはじける音を耳にするのは、たまらなく心地よかった。

 

 食事を終え、私たちは夜空を仰ぎながら小道を歩く。部屋までのほんの少しの距離が豊かな時を紡いだ。小道の両脇にはバレーボールのような丸い足元灯がいくつも並んでいる。灯りをたよりに集まった無数の虫たちが、黒い影を描いていた。

 

 かえるだ、

 私はパートナーをつついた。無数の黒い影の大半は、かえるだった。目を凝らすと、右の灯りにも、左の灯りにも、その先の灯りにもかえるがへばりついていた。大きな瞳が光を受けて艶めき、なんとも愛らしい。つややかな身体をしている。

 

 「いいなぁ、お肌うるつやで、」

私は顔を近づけ、ある一匹のかえるに話しかけた。

「でしょう?大変なんだよ、このうるつやを維持するためお手入れって。」

かえるはそう答えた。

「私、生まれ変わったらかえるになりたいんだよね。瞳がとっても大きくて、お肌うるつや、手足ぴとぴと、ひとはねでずっと先まで行けるんでしょう?」

「そうかな、、、かえるなんてそんな楽な生き方じゃないと思うけど。うるつや肌のためにとりわけきれいな水滴を探さなくちゃいけないし、毎日逃げるご飯を追いかけなきゃいけないし、」

難儀するぞぅ、とかえるは生意気な口調で言った。

 

 などと、胸の内でかえるのアフレコをしながら手を伸ばすと、私の指からのがれようとしたかえるは、みごとにおしっこを放出した。わずかにうるつやの背に触れた私の指を存分におしっこで濡らし、軽々と地面に降り立って、間もなくふたつみっつと飛び跳ね姿を消した。

 

 おしっこ、、、

 中腰でかたまる私に起きた悲劇を察し、パートナーはけらけらと笑った。私たちは下駄を地面に擦りながら早足で部屋に向かう。

 「こういうときのために、おしっこだって我慢してなくちゃいけないし。大変そうでしょう?」

 かえるがけろけろと笑いながら、そう言った。

 

 

 

#今週のお題「カメラロールから1枚」

 ある宿の足元灯に登る、かえるの写真です。